歌枠の勝負は、8割が選曲で決まる。

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歌が上手い人が、必ず歌枠で強いとは限らない。

むしろ、歌唱技術だけを見て選曲すると、かなりの確率で事故る。

歌い手には、それぞれ固有の声がある。

声の高さや太さだけではない。声の出し方、響き方、息の混ざり方、呼吸の癖、子音の強さ、語尾の処理、ビブラート、感情の乗せ方、声を前に出すのか引くのか。本人が意識していない細かな特徴まで含めて、その人だけの「声の性能」が存在する。

だから、同じ曲でも歌い手が変われば結果はまったく違う。

逆に言えば、その人の声に合った曲を選べば、歌唱技術以上のものが出てくる。

ここで重要なのが、「上手く歌える曲」と「その人の声が最も映える曲」は同じではないということだ。

音程を正確に取れる。
高音が出せる。
リズムを外さない。
難しい曲を歌える。

それでも、なぜか聴いていて刺さらないことがある。

原因は歌唱力ではなく、曲との相性かもしれない。

声質と曲の世界観が噛み合わない。
呼吸の位置が合わない。
フレーズの長さが声の特性と合わない。
必要以上に声を張らなければ成立しない。
本来の魅力とは違う発声を要求される。

こうなると、歌い手は頑張っているのに、聴衆には「なんか違う」と聞こえてしまう。

極端に言えば、100メートル走のメダリストにフルマラソンを走らせて、「遅いから実力不足だ」と評価するようなものだ。

その人が弱いのではない。

競技が合っていない。

逆もある。

長距離型の人間を、最初から最後まで全力疾走させればいいわけでもない。歌い手によっては、力を抜いて遠くまで走るような歌い方が最大の武器になる。一方で、普段から抑えすぎている人なら、50メートルを倒れるつもりで全力疾走させたほうが化けることもある。

だから必要なのは、「もっと上手く歌え」という指示ではない。

その人が、どの速度で、どの距離を、どんな走り方をしたときに最も強くなるのかを見つけることだ。

歌枠で本当に重要なのは、歌い手の能力を無理に変えることではない。

その能力が最大限に発揮される場所へ、選曲によって連れていくこと。

歌唱力が10ある人に、相性の悪い曲を歌わせれば5しか出ないことがある。

逆に、歌唱力そのものが突出していなくても、声と曲が完璧に噛み合えば、聴衆には10以上に聞こえることがある。

だから歌枠では、歌唱力を競う前に「何を歌うか」を考えなければならない。

選曲とは、単なる曲選びではない。

それは、その歌い手の性能をどこまで引き出せるかを決める、最初の設計である。

歌が上手い人に、上手く歌える曲を選ぶ。

それだけでは足りない。

その人の声が、一番強く聞こえる曲を選ぶ。

歌枠の勝負は、そこから始まる。

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