歌が上手い人が、必ず歌枠で強いとは限らない。
むしろ、歌唱技術だけを見て選曲すると、かなりの確率で事故る。
歌い手には、それぞれ固有の声がある。
声の高さや太さだけではない。声の出し方、響き方、息の混ざり方、呼吸の癖、子音の強さ、語尾の処理、ビブラート、感情の乗せ方、声を前に出すのか引くのか。本人が意識していない細かな特徴まで含めて、その人だけの「声の性能」が存在する。
だから、同じ曲でも歌い手が変われば結果はまったく違う。
逆に言えば、その人の声に合った曲を選べば、歌唱技術以上のものが出てくる。
ここで重要なのが、「上手く歌える曲」と「その人の声が最も映える曲」は同じではないということだ。
音程を正確に取れる。
高音が出せる。
リズムを外さない。
難しい曲を歌える。
それでも、なぜか聴いていて刺さらないことがある。
原因は歌唱力ではなく、曲との相性かもしれない。
声質と曲の世界観が噛み合わない。
呼吸の位置が合わない。
フレーズの長さが声の特性と合わない。
必要以上に声を張らなければ成立しない。
本来の魅力とは違う発声を要求される。
こうなると、歌い手は頑張っているのに、聴衆には「なんか違う」と聞こえてしまう。
極端に言えば、100メートル走のメダリストにフルマラソンを走らせて、「遅いから実力不足だ」と評価するようなものだ。
その人が弱いのではない。
競技が合っていない。
逆もある。
長距離型の人間を、最初から最後まで全力疾走させればいいわけでもない。歌い手によっては、力を抜いて遠くまで走るような歌い方が最大の武器になる。一方で、普段から抑えすぎている人なら、50メートルを倒れるつもりで全力疾走させたほうが化けることもある。
だから必要なのは、「もっと上手く歌え」という指示ではない。
その人が、どの速度で、どの距離を、どんな走り方をしたときに最も強くなるのかを見つけることだ。
歌枠で本当に重要なのは、歌い手の能力を無理に変えることではない。
その能力が最大限に発揮される場所へ、選曲によって連れていくこと。
歌唱力が10ある人に、相性の悪い曲を歌わせれば5しか出ないことがある。
逆に、歌唱力そのものが突出していなくても、声と曲が完璧に噛み合えば、聴衆には10以上に聞こえることがある。
だから歌枠では、歌唱力を競う前に「何を歌うか」を考えなければならない。
選曲とは、単なる曲選びではない。
それは、その歌い手の性能をどこまで引き出せるかを決める、最初の設計である。
歌が上手い人に、上手く歌える曲を選ぶ。
それだけでは足りない。
その人の声が、一番強く聞こえる曲を選ぶ。
歌枠の勝負は、そこから始まる。

コメント