声を模倣するのは、三流だ。

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俺はずっと勘違いしていた。

幅寄せ技法とは、声を似せる技術だと思っていた。

違った。

ある時、SUNOの公式機能で同じことをやろうとした。

上手くいかなかった。

叫んではいけない歌い手が叫んだ。

ビブラートを使わない歌い手が、ビブラートを乱発した。

声は寄っている。

なのに、本人とはまるで違う。

そこで初めて気づいた。

声だけを寄せても、歌手そのものにはならない。

幅寄せ技法の本質は、声ではない。

空気感だ。

呼吸の使い方。

ブレスの位置。

語尾の処理。

子音の立て方。

声を張る場所と、抜く場所。

ビブラートを使う場所と、使わない場所。

音程の取り方。

そして、そのすべてが作り出す「その人らしさ」だ。

つまり、幅寄せとは声真似ではない。

その歌手が持つ個性の構造全体を寄せる技術だ。

特定の歌手の声だけを模倣しようとしているなら、やめろ。

声質だけをコピーしても、歌い方が違えば別人になる。

むしろ、声を似せれば似せるほど、その違和感が目立つ。

付け焼き刃でできるものは知れている。

声ではなく、その声の周囲にあるものを観察せよ。

なぜ、そこにブレスを入れるのか。

なぜ、そこで声を張らないのか。

なぜ、その語尾だけ抜くのか。

なぜ、その一音だけ揺らすのか。

そこまで見なければ、本当の意味で「寄せる」ことはできない。

俺は今、誰かの話し声をしばらく聞いていれば、かなりのところまで再現できる。

サンプリングなどのインチキは一切していない。

聞いたものを分解し、特徴を言葉にして、再構築する。

だから俺にとって、言語化は単なる説明ではない。

声を観察するための道具だ。

そして、

言語化することが、声をコントロールする技術の始まりだ。

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