プロデューサーは「現場で歌う人」ではない。
「現場で歌いやすいように設計する人」だ。
たとえば私は、AIボーカル(Suno)に歌わせるために、
漢字をすべてひらがなやカタカナに置き換える。
場合によっては発音優先で、意図的に奇妙な日本語を書く。
「山は高い」ではなく、「山わ高い」と書く。
普通の作詞家が見たら眉をひそめるだろう。だが、歌わせるためには必要な処理なのだ。
作詞家と作曲家の限界
作詞家や作曲家は、しばしば次のようなタイプに分かれる。
- 「素敵な恋の歌」を書く人
- 「トレンド(例:ローファイ)」を意識する人
- 「王道ロック」しか書かない人
- アイディアはあるが、使い方がわからない人
どれも素晴らしい才能だ。しかし、彼らが自分の作品をどう届けるかという部分には、しばしば無頓着だ。
「私は作詞家です」「私は作曲家です」で止まってしまう。
プロデューサーは“変換機”
私は全部中途半端だ。
作詞も作曲もできるが、極めてはいない。
だが、それゆえに“変換機”になれる。
- 作品をどう売るか
- どう調整すればボーカルが歌いやすくなるか
- 誰に歌わせるべきか
- どの言語なら意味が伝わるか
- どんな構成ならリスナーの耳に残るか
これらを考えるのがプロデューサーだ。
妻は作詞家、私は変換機
うちの妻(作詞家)は、作詞にランクをつけている。
- レベル1:「どうでもいい」
- レベル5:「1文字も変更するな」
私の作詞だとレベル4までしか存在しない。
つまり、プロデューサーである私は、変更を前提に設計しているということだ。
今、私が求めている人材
- Wav編集ソフトを使いこなせるプロフェッショナル
(私は使えるが、時間がかかる。使う暇もない。ヘッドホンを付けて1時間は必要) - 人間の歌い手
(下手でも構わない。とにかく宣伝に使いたい。ギャラは払わないが、売れても報酬は要求しない)
これは決してケチな話ではなく、対等な“可能性共有”の提案だ。
お金ではなく、「未来の布石」に乗ってくれる人を探している。
そして現実
こうして私は、楽曲を量産し、歌い手を探し、プロデュースし、少しずつ収益化に成功している。
実際にBandcampや海外の小さな市場では、少しずつではあるが“売れて”きている。
だが、正直に言えば──
大手レーベルや主流の音楽産業から見れば、私たちのやっていることなど「ゴミクズ同然」である。
プロモーション費用もない。
音楽番組にも出ない。
CDも作らない。
誰もが知る「スター」もいない。
だが、それでも“生きている”。
ひっそりと、生き延びている。
ここにあるのは、誰にも真似できない戦略と思考法だ。
それは「素敵な恋の歌」ではなく、「現実と戦う構造そのもの」なのだ。

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