作:ふじ・まにょ
編集:奥 和也
プロローグ
世界には、三つの領域があった。
天高く浮かぶ雲の城。そこには風と光の民が暮らし、翼を持たずとも空を駆ける術を知っていた。
深く沈む海の底。そこには波と歌の民が住まい、水圧に負けぬ強さと、闇を照らす心の灯を持っていた。
そしてその間に広がる、陸の世界。緑と土の大地。人も獣も、草木も、等しく太陽の恵みを受けて生きていた。
三つの世界は、かつて自由に行き来できた。空の民は海を訪れ、海の民は陸で遊び、陸の者たちは空を仰いで夢を見た。
けれど今は違う。
目に見えない結界が、三つの世界を隔てている。
それは憎しみから生まれたものではなく、愛ゆえに張られた檻だった。
禁じられた恋。 許されぬ想い。 そして、引き裂かれた家族。
物語は、五年前のある夜から始まる。
序章 双子誕生〜別離
一
満月の夜だった。
陸の世界の南端に浮かぶ小さな島で、一組の恋人が寄り添っていた。
男は深い青の外套を羽織り、その瞳には星空が映っている。ゼウル。天空の城を統べる若き王だった。けれど今夜、彼は冠も権威も置いてきて、ただ一人の男として、愛する者のそばにいた。
女は波のように揺れる長い髪を風に遊ばせ、優しく微笑んでいた。マアヤ。海底神殿の王妃であり、深海を守る者。彼女もまた、地位も飾りも捨てて、この島に来ていた。
「また会えたね」
マアヤが囁くと、ゼウルは彼女の手を取った。
「ああ。どれだけ時が経っても、君を想う気持ちは変わらない」
二人が出会ったのは、三年前。この同じ島だった。
空の視察に訪れたゼウルと、潮の流れを調べに来たマアヤ。偶然浜辺で出会った二人は、互いの正体を知らぬまま言葉を交わし、心を通わせた。
身分を明かせば、二度と会えなくなる。
空と海は、古来より交わらぬ掟があった。それは憎しみからではなく、均衡を保つための約束事。どちらかが力を持ちすぎれば、世界は傾く。だから王族同士の結びつきは、固く禁じられていた。
けれど、心は掟に従わなかった。
二人は何度もこの島で会い、語り合い、やがて深く愛し合うようになった。
そして今夜――。
マアヤは静かに、ゼウルに告げた。
「あなた……私、子どもを授かったの」
月明かりの中、ゼウルの瞳が大きく見開かれた。
「本当か……?」
「ええ。二人……双子よ」
喜びと、恐れ。
二つの感情が、ゼウルの胸を駆け巡った。
「マアヤ……」
「大丈夫。私、この子たちを守るわ。どんなことがあっても」
二人は抱き合い、月に誓った。
どんな運命が待っていようとも、この愛と、授かった命を守り抜くと。
二
それから数ヶ月後。
陸の世界のとある小さな村で、マアヤは双子を産んだ。ゼウルが密かに手配した助産婦の手を借り、静かな夜明けとともに、二つの命がこの世に生を受けた。
最初に生まれたのは、小さな産声を上げる男の子。肌は健康的な小麦色で、産まれたばかりなのに力強く手足を動かしていた。
「クウ……」
マアヤが名付けた。空を意味する名。
次に生まれたのは、兄よりも少し小さな男の子。色白の肌に、静かな表情。けれど、その瞳には深い海の色が宿っていた。
「カイ……」
海を意味する名。
双子は、それぞれ空と海を受け継いで生まれてきた。
ゼウルは二人の息子を抱き、涙を流した。
「ありがとう、マアヤ。こんな奇跡を……」
「あなたがいてくれたから」
幸せな時間は、しかし長くは続かなかった。
三
双子が生まれて三日後。
天空の城の神官サンカリヤが、ゼウルの不在に気づいた。鋭い目をした老神官は、すぐに魔法の水晶を使って王の居場所を探り当てた。
そして、真実を知った。
「なんということ……王が、海の王妃と……!」
怒りではなく、恐怖だった。
空と海の王族が結ばれれば、力の均衡が崩れる。世界そのものが危機に瀕する――神官たちはそう信じていた。
同じ頃、海底神殿でも異変が起きていた。
神官レボンが、マアヤの長い不在を怪しんでいた。そして、ある日、彼女が密かに陸へ向かう姿を目撃してしまった。
「まさか……王妃様が、掟を破られたのでは……」
二つの国で、同時に緊急会議が開かれた。
天空の城では、三人の神官が集まった。
サンカリヤ、ライゼン、ムライゴ。
「このままでは世界が歪む」とサンカリヤが言った。
「子どもたちを引き離さねばならぬ」とライゼンが続けた。
「そして、二度と会えぬようにせねば」とムライゴが結んだ。
海底神殿でも、三人の神官が顔を合わせた。
レボン、ネッカ、トルー。
「王妃様を、お守りせねば」とレボンが言った。
「空の者たちが、何をするかわからぬ」とネッカが警戒した。
「子どもたちも、危険に晒されている」とトルーが憂えた。
そして、空と海の神官たちは、互いに知らぬまま、同じ結論に達した。
陸の世界に住む、最後の大魔女レイラに依頼するのだと。
四
レイラは、陸の奥深く、誰も近づかぬ森に住んでいた。
千年以上生きると言われる魔女。世界の理を知り、あらゆる魔法を使いこなす存在。
空の神官たちが訪れた時、レイラは静かに彼らを迎えた。
「空と海を、隔てよと?」
「左様」とサンカリヤが頭を下げた。「双子を引き離し、二度と出会わせぬよう、結界を」
レイラは長い沈黙の後、こう言った。
「それは、愛を罰することだ」
「世界のためです」
「世界のため……か」
魔女は深い溜息をついた。
その翌日、海の神官たちも訪れた。
「空の者たちから、王妃様と子どもたちをお守りください」
レイラは、同じことを二度聞かされていると気づいた。
空も海も、互いを恐れている。 そして、どちらも愛する者を守りたいと願っている。
「愚かな……」
魔女は呟いた。
「だが、お前たちの恐れも、理解できぬわけではない」
そして、レイラは決断した。
結界を張ろう。 けれど、それは永遠ではない。 いつか、真実の愛が結界を破る日まで。
五
ある嵐の夜。
ゼウルとマアヤが眠る小屋に、突然光が差し込んだ。
レイラだった。
「お目覚めください、空と海の王よ」
二人は飛び起き、双子を抱きしめた。
「何者だ!」とゼウルが叫ぶ。
「時間がありません」とレイラは静かに言った。「あなた方の国の神官たちが、私に結界を張るよう依頼しました。空と海を隔て、二度と交わらぬようにと」
「そんな……!」マアヤが青ざめた。
「私は、その依頼を受けました」
「なぜだ!」ゼウルが怒りを露わにした。
レイラは悲しそうに首を振った。
「あなた方を引き裂くためではない。守るためです。今、双方の国は疑心暗鬼に陥っている。このままでは、戦が起きかねない」
「ならば、私たちが説明を……」
「無駄です。彼らの恐れは、理屈では消えません」
レイラは双子に目を向けた。
「この子たちは、空と海の両方を受け継いでいる。だからこそ、危険なのです。力の均衡を崩しかねないと、神官たちは恐れている」
「では、どうすれば……」
魔女は、ゆっくりと告げた。
「双子を、それぞれの国へ返しなさい。一人は空へ、一人は海へ。そして、互いの存在を忘れたふりをするのです」
「そんなこと……!」
「これが、唯一の道です」
レイラは懐から二つのペンダントを取り出した。
一つは青い宝石。 一つは金色の宝石。
「このペンダントは、子どもたちを守ります。空の子は海でも息ができ、海の子は陸でも歩けるでしょう」
マアヤが震える手で、白い肌の赤ん坊――カイを抱きしめた。
「この子を……海へ?」
「ええ。そして、あなたは海底神殿へ戻りなさい。ゼウル様は、小麦色の子を連れて、天空の城へ」
ゼウルが、クウを強く胸に抱いた。
「もう二度と、会えないのか……」
「いいえ」
レイラの目に、かすかな光が宿った。
「結界は、永遠ではありません。いつか、真実の愛がそれを破る時が来ます。あなた方を信じなさい。そして、子どもたちを」
六
夜明け前。
マアヤは泣きながら、カイを抱いて海へと消えた。青いペンダントが、赤ん坊の首元で静かに光っていた。
ゼウルは、クウを抱いて空へと舞い上がった。金色のペンダントが、風に揺れていた。
レイラは一人、浜辺に立ち、両手を天に掲げた。
「空よ、海よ、陸よ。今ここに、境界を定める」
魔女の声が、世界に響いた。
「愛ゆえに引き裂かれし者たちよ。いつか再び会える日まで、この結界が守りとなれ」
目に見えない壁が、世界を三つに分けた。
空の民は、もはや海へ降りられない。 海の民は、空へ昇れない。 陸の者たちだけが、わずかに両方の領域へ行けるが、それも限られた場所でのみ。
そして、最も残酷なことに――。
ゼウルとマアヤは、互いの記憶を朧げにされた。
恋をしたことは覚えている。 愛し合ったことも、忘れてはいない。
けれど、相手の顔が思い出せない。 名前も、声も、ぼんやりとしか蘇らない。
まるで夢の中の出来事のように。
双子もまた、互いの存在を知らぬまま育つことになった。
クウは天空の城で、明るい王子として。 カイは海底神殿で、静かな貴公子として。
二人とも、胸に時折感じる不思議な寂しさの理由を、知らないまま。
結界は、こうして完成した。
五年の月日が、流れ始めた。
第一章 五年後・双子の出会い
一
「クウ様! お待ちください!」
天空の城の白い回廊を、小さな影が駆け抜けていく。
小麦色の肌に、風に逆立つ金色の髪。大きな瞳を輝かせて、笑いながら走る五歳の男の子。
天空の王子、クウ。
「だって今日は遠足なんだもん! 早く行きたいよ!」
後ろから、困った顔の侍女たちが追いかけてくる。
「殿下、お荷物を! 水筒もお忘れです!」
「あ、ほんとだ!」
クウは慌てて戻り、水筒を受け取ると、またぴょんぴょん跳ねながら城門へ向かった。
天空の城は、雲の上に浮かぶ白亜の建造物だった。塔が幾つも聳え、その間を風の橋が結んでいる。城の周りには、ふわふわとした雲の庭があり、そこでは光る花が咲いていた。
クウは城門の前で、すでに集まっている友達を見つけた。
「アラシ! ソラネ! みんな、おはよう!」
「おはよう、クウ」
アラシは、クウより少し背の高い、しっかり者の少年だった。髪は銀色で、いつも落ち着いた表情をしている。
「遅いぞ、クウ様」とアラシがからかうように言った。「また寝坊か?」
「してないもん! ……ちょっとだけだもん!」
クウが頬を膨らませると、ソラネがくすくすと笑った。彼女は優しい目をした女の子で、いつもクウの世話を焼いてくれる。
「でも、遠足に遅れなくてよかったね」
「うん!」
今日は、天空城の子どもたちの遠足の日だった。目的地は、陸の世界の南にある小さな島。結界の影響が薄く、空の民でも降りられる数少ない場所の一つだ。
神官のライゼンが、子どもたちの前に現れた。
「皆、揃ったか。では、出発しよう」
ライゼンは穏やかな顔をした中年の神官で、子どもたちの教育係でもあった。
「今日は、陸の世界の自然を学ぶ日だ。浜辺で貝殻を集めたり、砂遊びをしたりしていい。ただし、絶対に海には入ってはならぬぞ」
「はーい!」
子どもたちは元気よく返事をした。
クウは、ふと不思議に思った。
「ねえ、ライゼン様。どうして海に入っちゃダメなの?」
神官は一瞬、表情を曇らせた。
「……海には、我々とは違う民が住んでいる。彼らと関わることは、掟で禁じられているのだ」
「どうして?」
「昔からの決まりだ。いつか、お前が大きくなったら、わかる時が来る」
クウは納得できない顔をしたが、アラシが肩を叩いた。
「深く考えるな。今日は楽しもうぜ」
「うん!」
一行は、雲の船に乗り込んだ。ふわふわとした乗り心地の船は、ゆっくりと空を下り始めた。
クウは船縁に手をかけ、眼下に広がる景色を見つめた。
青い空。 白い雲。 そして、遥か下に見える、緑の陸地と、青い海。
胸の奥が、不思議にざわついた。
まるで、何かを忘れているような。 大切なものが、あそこにあるような。
「どうした、クウ様?」
ソラネが心配そうに覗き込んでくる。
「ううん、なんでもない」
クウは首を振って、笑顔を作った。
けれど、胸のざわつきは消えなかった。
二
同じ頃。
海底神殿でも、一人の少年が遠足の準備をしていた。
色白の肌に、深い青の髪。静かな表情の中に、強い意志を秘めた瞳。
海底の貴公子、カイ。
「カイ様、お忘れ物はございませんか?」
侍女のコルルが、優しく声をかけてくれる。
「大丈夫です」
カイは丁寧に答えた。彼はいつも礼儀正しく、落ち着いていた。けれど、今日はさすがに心が弾んでいる。
遠足。
海底神殿の外へ出られる、貴重な機会。
目的地は、陸の世界の南の島。そこは、海の民も訪れることが許された場所だった。
神殿の中庭に、子どもたちが集まっていた。
カイの友達、ウーズとミナミが手を振っている。
「おはよう、カイ!」
ウーズは元気な男の子で、いつも冗談ばかり言っている。ミナミは、しっかり者の女の子だった。
「遅いぞ、カイ様。もしかして、また本を読んでたんじゃないか?」
「……少しだけ」
カイが照れくさそうに答えると、ミナミが呆れたように笑った。
「本ばっかり読んでないで、たまには外で遊ばなきゃ」
「今日は、外で遊ぶ日だから」
カイが真面目な顔で言うと、ウーズとミナミは笑った。
神官のトルーが現れた。若い女性の神官で、優しい性格だった。
「皆さん、準備はいいですか? では、出発しましょう」
子どもたちは、海流に乗る貝殻の船に乗り込んだ。透明な船体の中から、海の景色がよく見える。
カイは船窓に手を当て、外を眺めた。
青い海。 光が差し込む水面。 そして、遥か上に見える、陸の世界。
胸の奥が、疼いた。
まるで、何かが呼んでいるような。 会いたい誰かが、あそこにいるような。
「カイ、どうした?」
ウーズが肩を揺すってくる。
「……なんでもない」
カイは首を振ったが、胸の疼きは消えなかった。
首元にある青いペンダントが、かすかに温かくなっているのを感じた。
三
南の島に、二つの船が降り立った。
空からは、雲の船。 海からは、貝殻の船。
けれど、両者が降りる場所は微妙にずれていた。結界の影響で、空の民と海の民は、同じ島でも出会わないようになっていた。
クウたちは、島の東側の浜辺に降り立った。
「わあ! 砂だ! 海だ!」
子どもたちは歓声を上げて、浜辺を走り回った。
クウも靴を脱ぎ捨て、裸足で砂浜を駆けた。
「気持ちいい!」
柔らかい砂が、足の裏をくすぐる。波の音が、耳に心地よい。
アラシが、貝殻を拾っている。
「見ろ、クウ。綺麗な貝殻だぞ」
「ほんとだ!」
クウも一緒に貝殻を集め始めた。ピンク色の貝殻、渦巻き模様の貝殻、小さくて可愛い貝殻。
そのうち、クウは砂山を作り始めた。
「すっごい大きいお城を作るんだ!」
「手伝うよ」とソラネも加わった。
みんなで砂を集め、水を運び、大きな砂の城を作っていく。
その時、クウはふと、奇妙なものに気づいた。
砂山の向こう側に、トンネルのような穴があった。
「なんだろう、これ」
「カニの巣かな?」とアラシが覗き込む。
「違うよ、もっと大きいもん」
クウは興味津々で、トンネルに近づいた。
「クウ様、危ないですよ!」
ソラネが止めようとしたが、クウはもう穴の中を覗き込んでいた。
「すごい! 向こうまで続いてる!」
トンネルは、砂山を貫いて、反対側まで続いているようだった。
「ちょっと行ってみる!」
「待てって!」
アラシが止める間もなく、クウは四つん這いになって、トンネルの中に入り込んだ。
四
同じ頃。
島の西側の浜辺に、カイたちが降り立っていた。
「わあ、陸の砂って、こんな感触なんだ」
ミナミが嬉しそうに砂を触っている。
カイも靴を脱ぎ、そっと砂に足をつけた。
ペンダントの魔法で、尾鰭が足に変わっている。海の外を歩けるのは、このペンダントのおかげだ。
「カイ、一緒に貝殻拾おうぜ!」
ウーズが手を引っ張ってくる。
カイは頷き、浜辺を歩き始めた。
波が寄せては返す。 風が優しく吹く。
海の中とは違う、不思議な感覚。
カイは、ふと視線を感じた。
振り返ると、大きな砂山があった。
その向こうに、何かがある。
カイは導かれるように、砂山に近づいた。
「カイ? どこ行くの?」
ミナミの声が遠くなる。
砂山の麓に、トンネルのような穴があった。
カイは、迷わず膝をついて、その穴を覗き込んだ。
暗いトンネル。 けれど、向こうに光が見える。
そして――。
「……誰かいる?」
カイは小さく呟いた。
トンネルの向こうから、気配がする。
五
クウは、トンネルの中を這っていた。
「うわあ、意外と長いなあ」
砂がぽろぽろと落ちてくる。ちょっと怖いけど、冒険みたいで楽しい。
そして、ついにトンネルの出口が見えた。
「やった!」
クウは勢いよく飛び出した。
その瞬間――。
「わあっ!」
誰かとぶつかった。
二人とも、砂の上に転がった。
クウは慌てて起き上がり、ぶつかった相手を見た。
そこには、自分と同じくらいの背丈の男の子がいた。
色白の肌。 深い青の髪。 静かで、でも驚いた顔をしている。
「……ごめんなさい」
男の子が丁寧に謝った。
「あ、ううん! こっちこそごめん!」
クウも慌てて謝った。
二人は立ち上がり、砂を払った。
そして、改めて顔を見合わせた。
瞬間、不思議な感覚がクウの胸を満たした。
この子を、知っている。
いや、知っているはずがない。初めて会った子だ。
でも――。
「君、名前は?」
男の子が静かに尋ねた。
「クウだよ! 君は?」
「カイ」
クウ。 カイ。
二つの名前が、風に乗って響き合った。
クウの首元で、金色のペンダントが光った。 カイの首元で、青いペンダントが光った。
二人とも、それに気づかなかった。
「ねえ、君も遠足で来たの?」とクウが尋ねた。
「うん。カイも?」
「そう! 僕、天空の城から来たんだ!」
カイの目が、わずかに見開かれた。
「……天空の城?」
「うん! 雲の上のお城! 君は?」
「海底神殿」
今度は、クウが驚く番だった。
「海の? すごい! 海の中ってどんな感じ?」
「暗くて、静かで……でも、光る魚がたくさんいる」
「いいなあ! 空は、風がいっぱいで、雲がふわふわで、すっごく気持ちいいよ!」
二人は、砂の上に座り込んだ。
そして、自然と語り合い始めた。
空のこと。 海のこと。 好きな遊び。 嫌いな食べ物。
笑ったり、驚いたり。
まるで、ずっと前から友達だったように。
クウは思った。
不思議だな。 初めて会った気がしないや。
カイも思った。
この感じ、なんだろう。 ずっと会いたかった人に、会えた気がする。
二人の胸の中で、ペンダントが静かに輝き続けていた。
六
「クウ様ー! どこですかー!」
遠くから、ソラネの声が聞こえた。
「あ、やばい!」
クウは慌てて立ち上がった。
「僕、そろそろ戻らなきゃ」
「カイも」
二人は名残惜しそうに顔を見合わせた。
「また会える?」
続ける
2025年11月23日
クウの問いかけに、カイは少し考えてから頷いた。
「……会いたい」
「僕も!」
けれど、どうやって?
空と海は、簡単に行き来できない。この島に来られるのも、特別な日だけだ。
クウは困った顔をした。その時、足元に光るものが落ちているのに気づいた。
「あ、これ……」
それは、波で磨かれたガラスの破片だった。丸くて平たい、鏡のように光る石。
「これ、カイにあげる! そしたら、僕のこと思い出せるでしょ?」
カイは受け取り、大切そうに握りしめた。
「……ありがとう」
そしてカイは、自分のポケットを探った。中から、綺麗な巻貝を取り出す。
「これ、クウに。海の音が聞こえるよ」
「わあ!」
クウは貝殻を耳に当てた。本当だ、波の音がする。
「ありがとう! 大事にする!」
「カイ様ー! どこにいらっしゃいますかー!」
今度は、カイを呼ぶ声が聞こえた。
「じゃあ、また!」
「うん、また!」
二人は手を振り合い、それぞれ来た道を戻った。
クウはトンネルをくぐり、東の浜辺へ。 カイは砂山を回り込んで、西の浜辺へ。
振り返った時、もう相手の姿は見えなかった。
けれど、胸の中は温かかった。
クウは貝殻を握りしめた。 カイはガラスの破片を大切にポケットにしまった。
二人とも知らなかった。
今日出会ったのが、生まれた時に引き裂かれた、自分のもう一人の半身だということを。
七
その夜。
天空の城に戻ったクウは、自分の部屋で貝殻を眺めていた。
「綺麗だな……」
耳に当てると、波の音が聞こえる。カイの声を思い出す。
なんだか不思議な一日だった。
ベッドに入っても、なかなか眠れなかった。
同じ頃、海底神殿でも。
カイは、ガラスの破片を枕元に置いていた。
月明かりならぬ、深海の光る生物の光に照らされて、それはきらきらと輝いている。
「クウ……」
名前を呟くと、胸が温かくなった。
不思議だった。
カイは頑張り屋だから、いつもは一人でいることが平気だった。
でも今日、クウと話している時は、初めて「一人じゃない」と感じた。
まるで、失くしていた何かが見つかったような。
カイは、ガラスの破片を握りしめて眠りについた。
空と海。
遠く離れた二つの場所で、双子はそれぞれ、同じ夢を見た。
砂浜で遊ぶ夢。 笑い合う夢。 ずっとずっと、一緒にいる夢。
結界は、二人の出会いを阻めなかった。
そして、これはまだ始まりに過ぎなかった。
第二章 秘密の交流
一
遠足から一週間が過ぎた。
クウは、毎日貝殻を眺めていた。耳に当てると波の音がして、カイのことを思い出す。
「また会いたいな……」
でも、どうやって?
ある日、クウはふと思いついた。
「そうだ! 鏡!」
天空の城には、遠くの人と話せる魔法の鏡があるのを、クウは知っていた。大人たちが使っているのを見たことがある。
「でも、僕まだ使い方わかんないし……」
クウは困った顔をした。その時、部屋のドアがノックされた。
「クウ様、お父様がお呼びです」
侍女の声。
「はーい!」
クウは部屋を飛び出し、父ゼウルの執務室へ向かった。
二
執務室の扉を開けると、父が窓際に立っていた。
ゼウルは、優しい顔をした若い王だった。けれど、その目には時折、深い哀しみが浮かぶ。
「クウ、来たか」
「お父様!」
クウは駆け寄った。
「遠足は楽しかったか?」
「うん! すっごく楽しかった!」
クウは目を輝かせて、砂の城を作ったことや、貝殻を集めたことを話した。
でも、カイのことは話さなかった。
なぜだかわからないけど、これは秘密にしておきたかった。
ゼウルは優しく息子の頭を撫でた。
「そうか。良かったな」
「お父様、魔法の鏡って、どうやって使うの?」
クウが唐突に尋ねると、ゼウルは少し驚いた顔をした。
「魔法の鏡? なぜそんなことを?」
「えっと……友達と話したいなって」
「友達……?」
ゼウルの目に、一瞬複雑な光が宿った。
「クウ、魔法の鏡はまだお前には早い。だが……」
王は考え込むように顎に手を当てた。
「そうだな。もう少し大きくなったら、教えてやろう」
「えー、今じゃダメ?」
「ダメだ」
ゼウルは優しく、でもきっぱりと言った。
クウはしょんぼりしたが、仕方なく頷いた。
部屋を出た後、クウは考えた。
「他に方法はないかな……」
三
同じ頃、海底神殿でも。
カイは、母マアヤの部屋を訪れていた。
マアヤは、美しく優しい王妃だった。長い髪を揺らして、息子を迎える。
「カイ、どうしたの?」
「お母様、遠見の鏡の使い方を教えてください」
マアヤの手が、一瞬止まった。
「遠見の鏡? なぜ?」
「……友達と、話したいんです」
「友達?」
マアヤは息子の顔をじっと見つめた。カイは普段、あまり友達と遊ばない子だった。それが、自分から友達と話したいと言っている。
「その友達は……どこにいるの?」
「陸の島で会いました」
「そう……」
マアヤは、胸の奥が疼くのを感じた。
陸の島。
あそこは、かつて自分が愛する人と会っていた場所。
今も時々、夢に見る。けれど、顔も名前も思い出せない。
「遠見の鏡は、まだあなたには難しいわ。でも……」
マアヤは優しく微笑んだ。
「他の方法がある。待っていて」
王妃は棚から、小さな巻貝を取り出した。真珠のように光る貝。
「これは、伝声貝と言ってね。対になった貝に、声を届けることができるの」
「本当ですか?」
カイの目が輝いた。
「ええ。でも、対になった貝がないと使えない。あなたのお友達は、何か貝を持っているかしら?」
「持ってます! 僕があげたんです!」
「まあ」
マアヤは驚いた。それから、優しく笑った。
「なら、これを使いなさい。あなたが持っている貝と、お友達が持っている貝が、対になるように魔法をかけてあげる」
「ありがとうございます!」
カイは嬉しそうに抱きついた。
マアヤは息子を抱きしめながら、不思議な胸騒ぎを覚えた。
この子は、誰と友達になったのだろう。
なぜか、とても大切なことのような気がする。
四
その夜。
クウは、アラシに相談していた。
「なあ、アラシ。遠くの人と話す方法って、魔法の鏡以外にある?」
「どうしたんだよ、急に」
「えっと……ちょっと知りたくて」
アラシは少し考えてから答えた。
「天耳石っていうのがあるぞ。小さな石で、対になったもの同士で声が聞こえるって」
「それだ! どこで手に入る?」
「城の宝物庫にあるけど……お前、誰と話したいんだ?」
「ないしょ!」
クウは笑ってごまかした。
次の日、クウはこっそり宝物庫に忍び込んだ。
たくさんの宝物の中から、小さな透明な石を見つけた。天耳石だ。
「これを貝殻につければ……」
クウは石をポケットに入れ、急いで部屋に戻った。
そして、カイからもらった貝殻に、そっと天耳石を押し当てた。
「繋がれ、繋がれ……」
クウが一生懸命念じると、不思議なことに、石が貝殻の中に溶け込んでいった。
「わあ!」
貝殻が、ほんのり光った。
「これで……カイと話せるかな?」
クウは貝殻を耳に当てた。
波の音。
そして――。
「……クウ?」
小さな声が聞こえた!
「カイ!?」
「本当にクウ? 聞こえる?」
「聞こえる聞こえる! カイの声だ!」
クウは興奮して飛び跳ねた。
貝殻の向こうで、カイも驚いているのが伝わってきた。
「すごい……お母様の魔法、本当に効いたんだ」
「お母様の魔法?」
「うん。伝声貝って言って、対になった貝に声を届ける魔法」
「僕も、天耳石を使ったんだ! すごいね、両方の魔法が繋がったのかな!」
二人は笑い合った。
そして、それから毎晩、クウとカイは貝殻を通じて話すようになった。
五
「ねえ、カイ。海の中って、夜は真っ暗なの?」
「ううん。光る魚とか、光る草とかがいるから、綺麗だよ。クウの城は?」
「星がいっぱい見えるんだ! 手を伸ばせば届きそうなくらい」
「いいな……」
二人は、互いの世界のことを話した。
空のこと。 海のこと。 友達のこと。 好きな食べ物のこと。
話していると、時間があっという間に過ぎた。
ある夜、カイが尋ねた。
「ねえ、クウ。クウのお父様って、どんな人?」
「優しいよ。でも、時々すごく寂しそうな顔をするんだ」
「……カイのお母様も、そう」
「そうなの?」
「うん。笑ってても、目が悲しそうな時がある」
二人は黙り込んだ。
不思議だった。
お互いの親のことを聞くと、胸が痛くなる。
「大人って、大変なんだね」とクウが呟いた。
「うん……」
別の夜には、もっと楽しい話もした。
「カイ、泳ぐの得意?」
「うん。クウは?」
「僕も得意! ……あ、でも僕、走るのは遅いんだ」
「カイは、走るの得意だよ。でも、泳ぎは得意じゃない」
「え? でも海に住んでるのに?」
「ペンダントで足になってるからかな……みんなみたいに速く泳げないんだ」
クウは、自分の首にあるペンダントを触った。
「僕もペンダントしてる。金色の」
「カイのは青いよ」
「同じなのかな?」
「どうだろう……」
二人は、また不思議な共通点を見つけた気がした。
六
秘密の交流は、二ヶ月続いた。
クウもカイも、毎晩話すのが楽しみで仕方なかった。
けれど、周りの大人たちは少しずつ、二人の変化に気づき始めていた。
「クウ様、最近よく笑いますね」とソラネが言った。
「そう?」
「はい。なんだか、嬉しそうです」
クウは照れくさそうに笑った。
海底神殿でも。
「カイ様、最近お元気そうですね」とウーズが言った。
「そうかな」
「ああ。前より、明るくなった気がする」
カイは少し驚いた。自分では気づかなかったけど、確かに毎日が楽しい。
それは、クウと話しているから。
二人とも、同じことを思っていた。
もっと話したい。 もっと知りたい。 そして――。
また会いたい。
ある夜、クウが言った。
「ねえ、カイ。また会えないかな」
「……会いたい」
「僕も! でも、どうやって?」
「もうすぐ、また遠足があるって聞いた」
「本当!?」
「うん。夏の終わりに」
「僕も聞いてみる!」
翌日、クウはライゼンに尋ねた。
「ねえ、また島に行けるの?」
「ああ。夏の終わりに、もう一度遠足を予定している」
「やった!」
クウは大喜びした。
同じ日、カイもトルーに確認した。
「夏の終わりの遠足、行けますか?」
「もちろんです。カイ様も楽しみにしているのね」
「はい」
カイは静かに微笑んだ。
その夜、二人は貝殻を通じて約束した。
「絶対、また会おうね」
「うん。絶対」
夏の陽射しが強くなる頃。
双子の心は、日に日に近づいていった。
そして、誰も気づかなかった。
二人のペンダントが、以前より強く光り始めていることに。
結界が、少しずつ薄れ始めていることに。
第三章 南の島での再会と入れ替わり
一
夏の終わり。
待ちに待った遠足の日が来た。
クウは朝から興奮していて、朝食もそこそこに城を飛び出した。
「クウ様、落ち着いてください!」
侍女たちが慌てて追いかける。
「だって今日、カイに会えるんだもん!」
「カイ? どなたですか?」
「えっと……ないしょ!」
クウは慌てて口を塞いだ。
雲の船に乗り込む時、ゼウルが見送りに来た。
「クウ、気をつけて行くのだぞ」
「うん!」
クウは元気よく答えたが、ふと父の表情が気になった。
ゼウルは、どこか遠くを見つめているような目をしていた。
「お父様?」
「……いや、なんでもない。楽しんでおいで」
王は息子の頭を撫で、船を見送った。
雲の船が空を下りていくのを見つめながら、ゼウルは胸の奥に疼きを感じていた。
最近、妙に胸が騒ぐ。
何か大切なことを、忘れている気がする。
誰かに、会いたい。
けれど、それが誰なのか思い出せない。
二
海底神殿でも、似たような光景があった。
カイは、いつもより早く準備を整えて、出発を待っていた。
マアヤが息子を見送りに来た。
「カイ、楽しんでいらっしゃい」
「はい」
カイが貝殻の船に乗り込もうとした時、マアヤは思わず声をかけた。
「カイ……」
「お母様?」
「……大切な人に、会えるといいわね」
カイは驚いた顔をした。
「どうして……」
「母親には、わかるのよ」
マアヤは優しく微笑んだ。けれど、その目には涙が浮かんでいた。
なぜ涙が出るのか、自分でもわからない。
息子を見ていると、誰かを思い出しそうになる。
大切な人。 愛した人。 もう会えない人。
「お母様、大丈夫?」
カイが心配そうに覗き込んでくる。
「ええ、大丈夫。行ってらっしゃい」
マアヤは息子を送り出し、一人神殿の窓から海を見つめた。
胸の奥が、痛い。
会いたい。
誰かに、会いたい。
三
南の島。
前回と同じ場所に、二つの船が降り立った。
クウは船から飛び降りると、すぐに砂山を探した。
「あった!」
前回のトンネルは崩れていたが、クウはすぐに新しいトンネルを掘り始めた。
「クウ様、何をしているんですか?」
ソラネが不思議そうに尋ねる。
「ちょっとね!」
クウは一生懸命砂を掘った。
西側の浜辺でも、カイが同じことをしていた。
「カイ、何掘ってるんだ?」
ウーズが覗き込む。
「トンネル」
「トンネル? なんで?」
「……友達に会うため」
カイは黙々と砂を掘り続けた。
やがて、二つのトンネルが繋がった。
クウは東から。 カイは西から。
暗いトンネルの中で、二人の手が触れ合った。
「カイ!」
「クウ!」
二人は笑顔で、トンネルを抜けた。
そして、砂山の陰で再会した。
「やっと会えた!」
「うん!」
二人は抱き合った。
不思議だった。
会うのは二回目なのに、ずっと前から知っている気がする。
離れていた時間が、嘘みたいだ。
「クウ、元気だった?」
「うん! カイは?」
「僕も」
二人は砂の上に座り、話し始めた。
話したいことが、山ほどあった。
「あのね、僕ね、最近ヨットの練習してるんだ」
「ヨット?」
「うん! 風を使って、船を動かすの。すっごく楽しいよ!」
「いいな……」
カイは少し羨ましそうだった。海の中では、ヨットは使えない。
「カイは、何してるの?」
「本をたくさん読んでる。海の歴史とか、魔法のこととか」
「すごい! カイ、頭いいんだね!」
「そんなこと……」
カイは照れくさそうに笑った。
二人は、互いの違いを楽しんでいた。
クウは明るくておっちょこちょい。 カイは静かで頑張り屋。
性格は違うのに、どこか似ている。
話していると、心地いい。
まるで、パズルのピースがぴったりはまるように。
四
しばらくして、クウが思いついたように言った。
「ねえ、カイ。面白いこと思いついた!」
「なに?」
「僕たち、入れ替わってみない?」
「入れ替わる?」
「うん! 僕がカイになって、カイが僕になるの!」
カイは驚いた顔をした。
「でも、どうやって?」
「服を交換すればいいんだよ! 僕たち、背も同じくらいだし」
確かに、二人は驚くほど似ていた。
肌の色と髪の色は違うけど、顔立ちはどこか似ている。背丈も同じくらい。
「でも、僕は足だから……」
カイは自分の足を見た。ペンダントの魔法で、尾鰭が足になっている。
「それ、外せないの?」
「外すと、尾鰭に戻っちゃう」
「じゃあ、そのままでいいよ! 海の中でも歩けるってことでしょ?」
「うん……」
「僕も、空で泳げるペンダントがあるんだ。だから、大丈夫!」
クウの発想に、カイは戸惑いながらも興味を持った。
「入れ替わって、どうするの?」
「お互いの世界を見てみたいんだ! 僕、海の中がどんな感じか知りたいし、カイも空を飛んでみたいでしょ?」
「……飛んでみたい」
カイは正直に答えた。
「じゃあ、決まり!」
クウは嬉しそうに立ち上がった。
「でも、クウ……周りの人にバレたら」
「大丈夫だって! 僕たち、似てるもん。少しの間だけだよ。一週間くらい」
「一週間……」
カイは迷ったが、クウの輝く目を見て、頷いた。
「わかった。やってみよう」
「やった!」
二人は早速、服を交換し始めた。
クウはカイの深い青の服を着て、カイはクウの白と金の服を着た。
「おお! 似合う!」
「クウも」
二人は笑い合った。
そして、ペンダントも交換した。
クウは青いペンダントを首にかけた。 カイは金色のペンダントを首にかけた。
瞬間、不思議な感覚が二人を包んだ。
体が軽くなったような。 心が満たされたような。
「なんか、変な感じ」とクウが言った。
「うん……でも、悪くない」
カイも同じことを感じていた。
二人のペンダントが、強く輝いた。
けれど、二人ともそれに気づかなかった。
五
「じゃあ、作戦会議ね!」
クウは砂の上に線を引いて、説明し始めた。
「カイは僕のふりをして、天空の城に行く。僕の友達はアラシとソラネ。二人とも優しいから、すぐ仲良くなれるよ」
「わかった」
「お父様は……ゼウルって言うんだけど、優しい人だから心配しなくていいよ。でも、時々寂しそうな顔をするの。その時は、そっとしておいてあげて」
「うん」
カイは真剣に聞いていた。
「僕は、カイのふりをして海に行く。友達は?」
「ウーズとミナミ。二人とも賑やかだから、クウなら大丈夫だと思う」
「お母様は?」
「マアヤ様って言うの。優しくて、綺麗な人」
クウは目を輝かせた。
「会ってみたい!」
「でも、お母様は勘がいいから……気をつけて」
「わかった!」
二人は細かいことまで教え合った。
好きな食べ物。 嫌いなこと。 部屋の場所。 日課。
「あ、あと、僕は走るの遅いから」とクウが付け加えた。
「カイは泳ぐの遅いよ」
「お揃いだね!」
二人は笑った。
そして、名残惜しそうに顔を見合わせた。
「一週間後、ここでまた会おう」
「うん」
「じゃあ、行ってくるね」
「クウも、気をつけて」
二人は手を振り合い、それぞれの浜辺へ戻った。
カイ(クウのふり)は、東の浜辺へ。 クウ(カイのふり)は、西の浜辺へ。
「クウ様、どこに行っていたんですか!」
ソラネが心配そうに駆け寄ってくる。
「ごめんなさい」
カイは丁寧に謝った。その言葉遣いに、ソラネが少し驚く。
「あれ? クウ様、いつもより丁寧ですね」
「え、えっと……反省してるから!」
カイは慌てて答えた。クウらしく振る舞わないと。
西の浜辺でも。
「カイ! 心配したぞ!」
ウーズが駆け寄ってくる。
「ごめんごめん! ちょっと探検してた!」
クウは明るく答えた。
「あれ? カイ、いつもより元気だな」
「そう? 今日は楽しい日だからね!」
クウはにこにこ笑った。カイらしく、もう少し落ち着かないと。
こうして、双子の入れ替わりが始まった。
それは、ただの子どもの悪戯のはずだった。
けれど、この入れ替わりが、運命を大きく動かすことになる。
結界が揺らぎ。 真実が明らかになり。 そして、引き裂かれた家族が、再び繋がる。
その始まりだった。
六
雲の船が、天空の城へと昇っていく。
カイ(クウのふり)は、船窓から下を見下ろした。
どんどん遠ざかる海。
お母様がいる神殿。
少し不安になったが、隣でアラシが話しかけてきた。
「クウ、今日は楽しかったな」
「え、ああ……うん」
「いつもより静かだな。疲れたのか?」
「少し……」
カイは慎重に答えた。クウは明るい子だから、も
続ける
2025年11月23日
っと元気に振る舞わないといけない。
「そっか。まあ、城に着いたらゆっくり休めよ」
「ありがとう」
アラシは優しく笑った。
カイは緊張しながらも、窓の外を眺め続けた。
雲が近づいてくる。 空が、どんどん高くなる。
こんな景色、初めて見る。
海の中とは全く違う。
広くて、明るくて、自由で――。
「すごい……」
カイは思わず呟いた。
これが、クウの世界。
同じ頃。
貝殻の船は、海底へと潜っていく。
クウ(カイのふり)は、船窓から外を見つめた。
光が、どんどん暗くなる。 水圧が、体を包む。
でも、不思議と苦しくない。青いペンダントが守ってくれているのだろう。
「カイ、大丈夫か?」
ウーズが心配そうに声をかけてくる。
「うん、大丈夫!」
クウは元気よく答えて、しまったと思った。カイはもっと静かな子だった。
「なんか、今日のカイは元気だな」
「あ、えっと……遠足が楽しかったから!」
「そっか! まあ、元気なのはいいことだ!」
ウーズは笑った。
クウはほっとして、再び窓の外を見た。
暗い海。 でも、光る魚が泳いでいる。 光る草が揺れている。
綺麗だ。
これが、カイの世界。
やがて、海底に巨大な建造物が見えてきた。
「あれが……神殿?」
クウは息を呑んだ。
真珠のように輝く白い壁。 優雅な曲線を描く塔。 周りを漂う、幻想的な光。
天空の城とは全く違うけど、同じくらい美しい。
「ただいま戻りました!」
船が神殿の入口に着くと、侍女たちが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、カイ様」
「た、ただいま!」
クウは元気よく答えた。侍女たちがくすくすと笑う。
「カイ様、今日は随分お元気ですね」
「あ……うん! 楽しかったから!」
クウは慌てて声のトーンを落とした。
神殿の中は、静かで荘厳だった。
床は磨かれた石で、天井は高く、壁には海の生物の美しい彫刻が施されている。
「カイ様のお部屋はこちらです」
侍女に案内されて、クウは部屋に入った。
広い部屋。 大きな窓からは、海の景色が見える。 本棚には、たくさんの本が並んでいる。
「カイって、本当に本が好きなんだな……」
クウは感心した。
そして、ベッドに腰を下ろした瞬間――。
ドアがノックされた。
「カイ、入ってもいいかしら?」
優しい声。
クウの心臓が高鳴った。
カイのお母様だ。
「ど、どうぞ!」
ドアが開き、美しい女性が入ってきた。
長い髪。 優しい目。 でも、どこか哀しげな微笑み。
「お帰りなさい、カイ」
「た、ただいま……お母様」
マアヤはクウの前に座り、優しく頭を撫でた。
その瞬間、クウは不思議な感覚に襲われた。
胸が、温かくなった。 涙が出そうになった。
なぜだろう。
初めて会ったはずなのに、懐かしい。
ずっと昔から、知っている気がする。
「カイ……?」
マアヤが心配そうに覗き込む。
「あ、ごめんなさい! なんでもないです!」
クウは慌てて笑顔を作った。
でも、マアヤは不思議そうにクウを見つめていた。
何かが違う。
いつもの息子と、何かが違う。
でも、それが何なのかわからない。
「遠足は、楽しかった?」
「はい! とっても!」
クウは元気よく答えた。
マアヤは微笑んだが、心の中で首を傾げていた。
この明るさは、カイらしくない。
でも、嫌な感じはしない。
むしろ、どこか懐かしい。
誰かを、思い出させる。
「そう。よかったわ」
マアヤは息子の頬に手を当てた。
温かい。
そして――。
首にかかったペンダントが、いつもと違う。
金色だ。
いつもは、青いペンダントのはず。
「カイ、そのペンダントは?」
「え?」
クウは慌てて首元を押さえた。
しまった! 交換したんだった!
「あ、えっと……友達と交換したんです!」
「友達と?」
「はい! とっても大切な友達なんです!」
クウは一生懸命説明した。
マアヤは、じっとクウを見つめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「そう……大切な友達なのね」
「はい!」
「なら、いいわ。大事にしなさい」
「はい!」
マアヤは立ち上がり、部屋を出ようとした。
けれど、ドアの前で振り返った。
「カイ……いえ」
「?」
「……なんでもないわ。おやすみなさい」
マアヤは優しく微笑んで、部屋を出た。
一人になったクウは、大きく息を吐いた。
「危なかった……」
でも、不思議だった。
カイのお母様を見た時、胸が痛くなった。
まるで、自分のお母様みたいに感じた。
クウには、お母様がいない。
お父様から、お母様は遠くに行ったと聞いている。
だから、母親の温もりを知らない。
でも、今日初めて――。
「お母様って、こんな感じなのかな……」
クウは、金色のペンダントを握りしめた。
第四章 親が気づく・結界が揺らぐ
一
一週間が過ぎた。
天空の城では、カイ(クウのふり)が過ごしていた。
最初は緊張したが、少しずつ慣れてきた。
アラシとソラネは優しかった。
ゼウル様も、本当に優しい人だった。
けれど、カイは気づいていた。
ゼウルの目が、時々遠くを見つめることに。
まるで、誰かを探しているように。
ある日、カイはゼウルと二人きりになった。
「クウ、最近どうだ? 楽しく過ごしているか?」
「はい、お父様」
カイは丁寧に答えた。
ゼウルは少し驚いた顔をした。
「お前、最近言葉遣いが丁寧だな」
「あ……」
しまった、とカイは思った。
「いえ、その……大人になろうと思って」
「そうか」
ゼウルは優しく笑った。
「無理しなくていいぞ。お前はお前のままでいい」
「……はい」
カイは、胸が温かくなった。
この人は、本当に優しい。
クウは、幸せだな。
でも、同時に思った。
この人も、寂しそうだ。
まるで、お母様みたいに。
「お父様」
「ん?」
「……寂しくないですか?」
ゼウルの手が、止まった。
「なぜ、そんなことを?」
「時々、遠くを見つめているから」
ゼウルは驚いた顔をして、それから深い溜息をついた。
「……よく気がついたな」
「ごめんなさい」
「いや、いいんだ」
ゼウルは窓の外を見た。
雲の向こうに、海が見える。
「実はな、クウ。私には、忘れられない人がいる」
カイは息を呑んだ。
「誰なのかも、どこにいるのかも、思い出せない。でも、確かに愛した人がいた」
「……」
「お前の母親だよ」
カイの心臓が高鳴った。
「お前が生まれた時、母親はいた。だが、すぐに離れ離れになってしまった」
「どうして……?」
「掟だ。守らねばならぬ掟が、私たちを引き裂いた」
ゼウルの目に、涙が浮かんでいた。
「でも、私は今でも彼女を愛している。どこにいるのかわからなくても。顔も思い出せなくても。心は、覚えているんだ」
カイは、思わずゼウルの手を握った。
「お父様……」
ゼウルは驚いて、息子を見た。
クウは、こんなふうに手を握ってくることはなかった。
でも、不思議と嫌な感じはしない。
「ありがとう、クウ」
ゼウルは息子を抱きしめた。
カイも、ゼウルを抱きしめ返した。
この人のお母様。
カイのお父様。
もしかして――。
カイの心に、ある予感が芽生え始めていた。
二
海底神殿では、クウ(カイのふり)が過ごしていた。
最初は戸惑ったが、今ではすっかり慣れた。
ウーズとミナミとも仲良くなった。
そして何より、マアヤ様が大好きになった。
優しくて、温かくて、美しい人。
まるで、本当のお母様みたいだった。
でも、クウも気づいていた。
マアヤの目が、時々哀しそうになることに。
ある夜、クウはマアヤの部屋を訪ねた。
「お母様、お話しいいですか?」
「もちろん。どうしたの?」
マアヤは優しく微笑んだ。
クウは、少し迷ってから尋ねた。
「お母様は……寂しくないですか?」
マアヤの表情が、一瞬凍りついた。
「なぜ、そんなことを?」
「だって、時々すごく悲しそうな顔をするから」
マアヤは深く息を吸った。
「……カイは、よく見ているのね」
「ごめんなさい」
「いいえ。謝ることはないわ」
マアヤはクウを隣に座らせた。
「実はね、カイ。お母様には、忘れられない人がいるの」
クウの目が大きくなった。
「それは……お父様?」
「ええ。あなたのお父様よ」
「どこにいるんですか?」
「わからないの。顔も、名前も、思い出せない。ただ、愛し合ったことだけは覚えている」
マアヤの目から、涙が一筋流れた。
「あなたが生まれた時、お父様はそばにいた。でも、掟によって引き裂かれてしまった」
「掟……」
「空と海は、交わってはならないという掟。でも、私たちは愛し合ってしまった」
クウは、胸が痛くなった。
お父様も、同じことを言っていた。
大切な人がいたけど、会えなくなったと。
それって――。
「お母様」
「なあに?」
「その人、絶対に会えますよ」
マアヤは驚いた顔をした。
「どうして、そう思うの?」
「だって、お母様もお父様も、今でも相手のことを愛してるんでしょ? なら、絶対に会えるよ」
クウは力強く言った。
マアヤは、涙をこぼしながら笑った。
「カイ……あなた、いつからそんなに優しくなったの」
「え?」
「いつもは静かで、あまり自分の気持ちを言わない子だったのに」
クウは慌てた。
「あ、えっと……大人になろうと思って!」
マアヤは不思議そうにクウを見つめた。
「そう……」
そして、クウの首元のペンダントに目を留めた。
金色のペンダント。
いつもは、青いはず。
「カイ、そのペンダント……」
「あ! 友達と交換したんです!」
「友達?」
「はい! とっても大切な友達!」
クウは笑顔で答えた。
マアヤは、じっとペンダントを見つめた。
金色。
空の色。
そして、この子の明るさ。
まるで、誰かを思い出させる。
愛した人の――。
「お母様?」
「……カイ」
マアヤは震える声で尋ねた。
「あなた、本当にカイなの?」
クウの顔が、青ざめた。
三
同じ夜。
天空の城でも、異変が起きていた。
ゼウルは、夜中に目を覚ました。
胸騒ぎがする。
何かが、起きている。
彼は執務室に行き、魔法の水晶を手に取った。
水晶は、世界の様子を映し出すことができる。
ゼウルは、何気なく海の方向へ水晶を向けた。
その瞬間――。
水晶が、激しく光った。
そして、映像が浮かび上がった。
海底神殿。
そこに、一人の女性がいた。
長い髪。 優しい顔立ち。 でも、哀しげな目。
ゼウルの心臓が、止まりそうになった。
「まさか……」
知っている。
この人を知っている。
「マアヤ……?」
その名前が、自然と口から出た。
そうだ。
彼女の名は、マアヤ。
海底神殿の王妃。
そして――。
自分が愛した人。
「思い出した……!」
ゼウルは水晶を落としそうになった。
記憶が、洪水のように蘇ってくる。
南の島で出会ったこと。 何度も会ったこと。 愛し合ったこと。 そして――。
子どもが生まれたこと。
双子。
「クウ……だけじゃない。もう一人、息子がいたのか……!」
ゼウルは愕然とした。
その時、ドアがノックされた。
「お父様、起きていますか?」
クウ――いや、カイの声。
「入れ」
カイが入ってきた。その表情は、緊張していた。
「お父様……お話があります」
「私もだ」
二人は向かい合って座った。
カイが口を開いた。
「僕は……クウじゃありません」
ゼウルは頷いた。
「気づいていた。お前は、カイだろう」
カイは驚いた顔をした。
「どうして……」
「勘だ。いや、父親の直感と言うべきか」
ゼウルはカイの肩に手を置いた。
「お前は、私のもう一人の息子だ」
「……はい」
カイの目から、涙がこぼれた。
「ごめんなさい。嘘をついて」
「いや、いいんだ」
ゼウルはカイを抱きしめた。
「よく来てくれた。会いたかったぞ、カイ」
カイは父の胸で泣いた。
初めて会った父。
でも、本当の父。
「お父様……」
二人は、しばらくそうしていた。
やがて、ゼウルが尋ねた。
「クウは、今どこに?」
「海底神殿に」
「そうか……」
ゼウルは立ち上がり、窓の外を見た。
海の方向を。
「マアヤ……」
彼女も、気づいただろうか。
クウが、自分たちの息子だと。
そして、カイがここにいることを。
四
海底神殿。
マアヤの部屋で、クウは正直に話していた。
「ごめんなさい。僕、本当はクウなんです」
マアヤは、静かに聞いていた。
「カイと入れ替わって、海に来ました」
「どうして……?」
「お互いの世界を見てみたくて。それに……」
クウは涙をこぼした。
「お母様に、会いたかったから」
マアヤの体が、震えた。
「お母様?」
「僕、お母様がいないんです。でも、カイのお母様を見て、すごく優しくて、温かくて……お母様って、こういう人なんだって思いました」
「クウ……」
マアヤは、クウを抱きしめた。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
「え?」
「私が、あなたのお母様よ」
クウの目が、大きく見開かれた。
「あなたとカイは、双子。私とあなたのお父様の子ども」
「じゃあ、お父様って……」
「ゼウル。天空の王」
クウの頭が、真っ白になった。
お父様とお母様は、知り合いだった。
いや、恋人だった。
そして、自分とカイは双子。
「僕たち……兄弟だったの?」
「ええ。生まれてすぐ、引き裂かれてしまったけれど」
マアヤは泣きながら笑った。
「でも、あなたたちは自分で出会ったのね。運命に導かれて」
「カイ……僕の弟……」
クウも泣き出した。
だから、あんなに懐かしかったのか。
だから、すぐに仲良くなれたのか。
血が繋がっていたから。
「お母様……」
「ここにいて。もう離さない」
マアヤはクウを強く抱きしめた。
そして、窓の外を見た。
遥か彼方、天空の城がある方向を。
「ゼウル……あなたも、気づいたかしら」
マアヤの声は、結界を越えて届かない。
でも、心は繋がっていた。
同じ瞬間、同じことを思っていた。
会いたい。
もう一度、会いたい。
五
その夜から、世界が変わり始めた。
天空の城と海底神殿で、同時に異変が起きた。
まず、空に亀裂が入った。
雲が不自然に裂け、その向こうに海が見えた。
「なんだ、これは!」
神官サンカリヤが叫んだ。
「結界が……揺らいでいる!」
海底でも、同じことが起きていた。
神殿の天井に、光の筋が走った。
「これは……!」
神官レボンが驚愕した。
「結界が、崩れ始めている!」
魔法で作られた境界線が、ひび割れていく。
空と海を隔てていた壁が、薄れていく。
神官たちは慌てて、王と王妃のもとへ駆けつけた。
天空の城では――。
「ゼウル様! 結界が崩壊しつつあります!」
「知っている」
ゼウルは、カイの手を握っていた。
「これは、私たちが望んだことだ」
「しかし! 空と海が交われば、世界の均衡が!」
「均衡よりも大切なものがある」
ゼウルは、きっぱりと言った。
「愛だ。家族だ」
海底神殿では――。
「マアヤ様! 結界が!」
「わかっているわ」
マアヤは、クウの手を握っていた。
「これは、運命よ。もう誰にも止められない」
「ですが!」
「私は、愛する人のもとへ行く。そして、引き裂かれた家族を取り戻す」
神官たちは、言葉を失った。
そして、同じことに気づいた。
王と王妃の瞳に、決意の光が宿っていることを。
結界は、愛によって作られた。
ならば、愛によって壊されることもできる。
そして今、二つの強い愛が、結界を打ち砕こうとしていた。
親の愛。 子の愛。
ゼウルとマアヤの、互いを思う愛。 クウとカイの、兄弟としての愛。
四つの心が、一つになろうとしていた。
空が、震えた。 海が、うねった。
結界の崩壊が、始まった。
六
翌朝。
世界中の人々が、空を見上げていた。
雲の切れ目から、海が見えた。
空と海の境界が、曖昧になっている。
「何が起きているんだ?」
「世界が、変わろうとしているのか?」
人々は恐れ、驚き、そして期待した。
天空の城では、ゼウルが宣言した。
「私は、海底神殿へ行く」
「お待ちください、ゼウル様!」
サンカリヤが止めようとしたが、ゼウルは首を振った。
「五年間、私は掟に従ってきた。愛する者を忘れ、息子たちを引き裂かれたまま、ただ王としての務めを果たしてきた」
「それは……」
「だが、もう充分だ。私は、一人の男として、愛する者のもとへ行く」
ゼウルは、カイの肩に手を置いた。
「お前も来るか? 母に会いに」
カイは力強く頷いた。
「はい!」
海底神殿では、マアヤが宣言した。
「私は、天空の城へ行く」
「マアヤ様! それは無謀です!」
レボンが止めようとしたが、マアヤは静かに微笑んだ。
「五年間、私は静かに耐えてきた。愛する人を思い出せないまま、息子を一人しか知らないまま、ただ王妃として生きてきた」
「……」
「でも、もう我慢できない。私は、女として、母として、愛する人のもとへ行く」
マアヤは、クウの手を取った。
「あなたも来るわね? 父に会いに」
クウは涙を流しながら頷いた。
「うん!」
そして、同じ瞬間。
ゼウルは天空の城を出発した。 マアヤは海底神殿を出発した。
目指す場所は、同じ。
南の島。
かつて、二人が愛を誓った場所。
そして、双子が運命的に出会った場所。
結界が、音を立てて崩れていく。
空と海の境界が、消えていく。
世界は、新しい時代を迎えようとしていた。
第五章 真実への旅立ち
一
南の島へ向かう途中。
ゼウルとカイを乗せた雲の船は、荒れ狂う空を進んでいた。
結界の崩壊によって、風が乱れている。
「お父様、大丈夫ですか?」
カイが心配そうに尋ねる。
「ああ。お前こそ、怖くないか?」
「少しだけ。でも、お母様に会えるなら」
カイは笑顔を見せた。
ゼウルは、この息子に五年間会えなかったことを、改めて悔やんだ。
けれど、今は前を向く時だ。
「カイ、お前の弟はどんな子だ?」
「クウは……明るくて、元気で、ちょっとおっちょこちょいです」
ゼウルは笑った。
「私が知っているクウと、同じだな」
「でも、すごく優しいんです。人を笑顔にするのが上手で、一緒にいると楽しくて」
カイの目が輝いていた。
「お前は、弟が大好きなんだな」
「はい。僕の大切な、たった一人の兄弟です」
ゼウルは胸が熱くなった。
双子は、自分たちで絆を築いていた。
血の繋がりを知らなくても、心は知っていた。
「もうすぐ会えるぞ」
「はい!」
二
同じ頃。
マアヤとクウを乗せた貝殻の船は、荒れる海流を突き進んでいた。
「お母様、揺れますね!」
「大丈夫。私が守るから」
マアヤは息子を抱きしめた。
クウは、母の温もりを感じながら思った。
これが、お母様なんだ。
ずっと欲しかった、お母様の抱擁。
「クウ、あなたの兄はどんな子?」
「カイは、静かで、優しくて、頭がいいんだ。でも、時々すごく頑張りすぎちゃうから心配なの」
マアヤは微笑んだ。
「似ているわね。私が知っているカイと」
「カイのこと、お母様はどう思ってる?」
「大切な息子よ。でも……」
マアヤの目に、哀しみが浮かんだ。
「一人しか知らないことが、ずっと辛かった。もう一人の息子がどこかにいるのに、会えないことが」
「もう大丈夫だよ。今から会えるんだから!」
クウは笑顔で言った。
「そうね。ありがとう、クウ」
「お母様こそ、ありがとう。僕を産んでくれて」
マアヤは涙をこぼした。
「こんな優しい子に育ってくれて、お母様は幸せよ」
二人は抱き合った。
船は、南の島へと進み続けた。
三
しか
続ける
2025年11月23日
し、旅は簡単ではなかった。
結界が崩壊する過程で、空と海の境界が不安定になっていた。
雲の船は、突然の突風に煽られた。
「危ない!」
ゼウルは咄嗟にカイを抱きかかえ、魔法で船を安定させた。
「お父様、あれを!」
カイが指差した先に、巨大な空の裂け目があった。
そこから、海水が逆流して空へ吹き上げている。
「結界の崩壊による副作用か……」
ゼウルは眉をひそめた。
「お父様、このまま進めますか?」
「進むしかない。マアヤが待っているんだ」
ゼウルは決然と船を進めた。
海底では、マアヤたちも困難に直面していた。
海流が逆巻き、船が激しく揺れる。
「マアヤ様、これ以上は危険です!」
侍女のコルルが叫んだ。
「引き返しましょう!」
「いいえ」
マアヤは首を振った。
「ゼウルが待っている。五年間待ち続けた再会を、今諦めるわけにはいかない」
「ですが!」
その時、巨大な渦が船の前に現れた。
結界の崩壊によって生まれた、空間の歪み。
「みんな、掴まって!」
マアヤは魔法で防御の膜を張った。
船は渦に飲み込まれ――。
そして、次の瞬間。
船は、海面を突き破って空へと飛び出した。
「わあああ!」
クウが叫ぶ。
船は、空中を漂っていた。
「お母様、僕たち、空に!」
「結界の崩壊で、空間そのものが歪んでいるのね……」
マアヤは冷静に状況を判断した。
そして、遠くに雲の船を見つけた。
「あれは……!」
四
ゼウルも、貝殻の船に気づいた。
「マアヤ……!」
空中に浮かぶ、海の船。
その中に、愛する人の姿が見える。
「お母様!」
カイも叫んだ。
二つの船は、引き寄せられるように近づいていった。
そして、並んで浮かんだ。
ゼウルとマアヤは、互いを見つめた。
五年ぶりの再会。
いや、記憶を取り戻してから初めての、本当の再会。
「マアヤ……」
「ゼウル……」
二人の目から、涙が溢れた。
「会いたかった」
「私も」
「ごめん。守れなくて」
「いいえ、あなたのせいじゃない」
二人は、船と船の間に魔法の橋を架けた。
そして、走り寄った。
抱き合った。
五年間の寂しさ。 五年間の痛み。 五年間の想い。
全てが、この抱擁に込められていた。
「もう離さない」
「ええ、もう二度と」
双子は、その光景を見つめていた。
クウは、マアヤの船から。 カイは、ゼウルの船から。
そして、二人は目が合った。
「カイ!」
「クウ!」
双子も、橋を渡って駆け寄った。
抱き合った。
「兄弟だったんだね!」
「うん! 僕たち、双子だったんだ!」
「道理で、すぐに仲良くなれたわけだ!」
「だから、あんなに懐かしく感じたんだ!」
二人は笑い、泣き、また笑った。
ゼウルとマアヤは、息子たちを見つめた。
「二人とも、よく育ってくれた」とゼウルが言った。
「二人とも、立派になったわね」とマアヤが微笑んだ。
四人は、抱き合った。
家族として。
初めて、本当の家族として。
空中で。
空と海の境目で。
引き裂かれた家族が、ついに一つになった。
五
その瞬間。
世界中で、光が溢れた。
結界が、完全に崩壊した。
空と海を隔てていた壁が、音を立てて消えていく。
天空の城で。
神官サンカリヤは、その光景を見つめていた。
「終わった……」
「いや」とライゼンが言った。「始まったのだ」
「何が?」
「新しい時代が」
海底神殿で。
神官レボンも、同じことを思っていた。
「結界が消えた……」
「これで、自由になれるのですね」とトルーが言った。
「自由……そうだな。だが、それは同時に責任も意味する」
空の民と海の民が、再び交流できるようになる。
それは、かつての調和を取り戻すことでもあり、新しい問題が生まれることでもある。
神官たちは、不安と期待を抱いていた。
陸の世界では、人々が空と海を見上げていた。
「空から、海の生き物が降ってくる!」
「海から、雲が湧き上がっている!」
世界は、混乱していた。
けれど、その混乱の中心に、希望があった。
六
南の島に、四人は降り立った。
かつて、ゼウルとマアヤが愛を誓った浜辺。
かつて、クウとカイが出会った浜辺。
「ここで、全てが始まったのね」とマアヤが言った。
「ああ。そして、ここで全てが繋がった」とゼウルが答えた。
双子は、砂浜を駆け回った。
「見て、カイ! あの砂山、僕たちが作ったトンネルの跡だよ!」
「本当だ! もう崩れちゃってるけど」
「また作ろうよ!」
「うん!」
二人は笑いながら、砂を掘り始めた。
ゼウルとマアヤは、その姿を見つめながら手を繋いだ。
「私たちの愛が、あの子たちを引き寄せたのかしら」
「いや、あの子たちの絆が、私たちを引き寄せたのだと思う」
「そうね……子どもたちは、親よりも強いわ」
二人は微笑み合った。
その時、後ろから声がした。
「やっと見つけましたぞ」
振り返ると、両方の国の神官たちが集まっていた。
天空の城の三神官。 海底神殿の三神官。
そして、その中心に、見覚えのある老婆がいた。
「レイラ……!」
ゼウルとマアヤは驚いた。
結界を張った張本人、陸の大魔女レイラ。
「お久しぶりです、ゼウル様、マアヤ様」
レイラは深々と頭を下げた。
「どういうつもりだ!」
ゼウルが声を荒げる。
「あなたが、私たちを引き裂いた!」
「その通りです」
レイラは顔を上げた。その目には、涙が浮かんでいた。
「私は、あなた方を引き裂きました。愛ゆえに。世界のために。そして、両国の神官たちの願いによって」
「ならば、なぜ今ここに?」
「謝罪をしに参りました」
レイラは、再び深く頭を下げた。
「そして、祝福を」
「祝福?」
「ええ。あなた方の愛は、結界を破りました。双子の絆は、運命を変えました。これは、奇跡です」
レイラは、双子の方を見た。
クウとカイは、砂遊びを止めて、大人たちを見つめていた。
「あの子たちが、世界を変えるでしょう。空と海を繋ぐ、新しい時代の象徴として」
「私たちは……」
神官サンカリヤが口を開いた。
「間違っていたのかもしれません」
「我々も」と神官レボンが続けた。「恐れるあまり、大切なものを見失っていた」
六人の神官たちは、揃ってゼウルとマアヤに頭を下げた。
「どうか、お許しください」
ゼウルとマアヤは顔を見合わせた。
そして、優しく微笑んだ。
「許すも何も、あなた方も苦しんでいたのでしょう」とマアヤが言った。
「これからは、共に新しい道を探しましょう」とゼウルが続けた。
「ありがとうございます……」
神官たちは、涙を流した。
レイラは、満足そうに頷いた。
「さあ、これからが始まりです」
魔女は杖を掲げた。
「空と海の新しい時代を、ここに宣言しましょう」
杖から、光が放たれた。
その光は、空へ海へと広がり、世界中を照らした。
第六章 空と海の対決・和解
一
しかし、全てが順調に進んだわけではなかった。
結界の崩壊は、予期せぬ問題も引き起こしていた。
南の島から戻った一行を待っていたのは、混乱する世界だった。
天空の城では、一部の貴族たちが反発していた。
「海の民と交わるなど、あってはならぬ!」
「掟を破った王を、認めるわけにはいかぬ!」
議会は紛糾していた。
海底神殿でも、同様だった。
「空の民は信用できません!」
「王妃様は、国を裏切られたのです!」
古い考えを持つ者たちが、声を上げていた。
ゼウルとマアヤは、それぞれの国で説明を試みた。
「私は、掟よりも愛を選んだ。それを後悔していない」とゼウルは言った。
「だが、それは王として失格ということですぞ!」
貴族の一人が声を荒げる。
「ならば、王を辞めてもいい」
ゼウルの言葉に、議会がざわついた。
「しかし、私が愛した人を、そして息子たちを、もう二度と手放さない」
その決意に、反対派は言葉を失った。
海底神殿でも、マアヤは同じことを言っていた。
「私は、国よりも家族を選びます」
「それは、王妃としての責任放棄です!」
重臣の一人が詰め寄る。
「なら、王妃を辞めましょう」
マアヤの静かな言葉に、宮廷は静まり返った。
「でも、愛する人と子どもたちを、もう失いたくない」
その強い意志に、反対派も黙るしかなかった。
二
問題は、王族だけにとどまらなかった。
空の民と海の民が再び交流するようになると、様々な衝突が起きた。
ある日、天空の城の市場で事件が起きた。
海の商人が、海の産物を売りに来ていた。
「これは珍しい! 深海の真珠だ!」
空の民が興味津々で集まってくる。
しかし、その値段を見て顔を曇らせた。
「高すぎる! これは詐欺だ!」
「詐欺ではありません! これは深海でしか採れない貴重なものです!」
海の商人が反論する。
「海の者は、やはり信用できぬ!」
「空の者こそ、物の価値がわかっておらぬ!」
言い争いは、やがて掴み合いになった。
同様の事件は、海底神殿でも起きていた。
空の職人が、風の魔法道具を持ち込んだ。
「これは、風を自在に操れる道具です」
海の民が興味を示したが、実際に使おうとすると、水中ではうまく動かなかった。
「騙された!」
「いや、これは空で使うものだ!」
「それを先に言え!」
諍いは、あちこちで起きていた。
三
クウとカイは、その状況を憂えていた。
「どうして、みんな仲良くできないんだろう」とクウが悲しそうに言った。
「文化が違うから……でも、きっとわかり合えるはず」
カイは考え込んでいた。
二人は、ある計画を立てた。
「空と海の子どもたちで、交流会をしよう!」
クウが提案すると、カイもすぐに賛成した。
「大人は難しく考えすぎるけど、子どもなら素直に仲良くなれる」
「そうだよ! 僕たちみたいに!」
二人は早速、友達に声をかけた。
天空の城では、アラシとソラネが協力してくれた。
「面白そうだな! やろうぜ!」
「私も手伝うわ!」
海底神殿では、ウーズとミナミが賛同した。
「カイの提案なら、信じるよ!」
「楽しそう! 参加する!」
南の島を会場に、空と海の子どもたちの交流会が開かれることになった。
四
交流会の日。
南の島の浜辺に、空の子どもたち十人と、海の子どもたち十人が集まった。
最初は、お互い警戒していた。
空の子たちは、海の子たちを遠巻きに見ている。 海の子たちも、距離を置いて立っている。
「やあ!」
クウが元気よく声をかけた。
「僕はクウ! 天空の王子だけど、そんなの気にしないで! みんな友達になろう!」
「僕はカイ。海底の貴公子だけど、クウと同じ。みんな仲良くしたいんだ」
双子の明るさに、少しずつ空気が和らいだ。
「じゃあ、まず自己紹介しよう!」
一人一人、名前と好きなことを言っていった。
空の子、リク。「雲の上でかけっこするのが好き!」 海の子、ナミ。「人魚の歌を歌うのが得意!」 空の子、ハル。「星を見るのが好き!」 海の子、シオ。「光る魚と遊ぶのが楽しい!」
話していくうちに、共通点も見つかった。
「僕も走るの好き!」 「私も歌が好き!」
やがて、子どもたちは自然と混ざり合い、遊び始めた。
砂の城を作ったり。 貝殻を集めたり。 鬼ごっこをしたり。
笑い声が、浜辺に響いた。
クウとカイは、その光景を見て笑顔になった。
「うまくいったね!」
「うん! やっぱり、子どもは素直だ」
五
その様子を、遠くから大人たちが見ていた。
ゼウルとマアヤ。 そして、神官たち。
「子どもたちは、もう仲良くなっているな」とライゼンが微笑んだ。
「我々大人が、頑固なだけかもしれませんね」とトルーが言った。
サンカリヤとレボンは、顔を見合わせた。
「我々が、最も頑固だったのかもしれぬ」
「同感です」
二人の老神官は、思わず笑った。
「なあ、レボン殿」
「はい、サンカリヤ殿」
「一つ、提案があるのだが」
「奇遇ですな。私も、ちょうど同じことを考えていました」
二人は、王と王妃のもとへ歩み寄った。
「ゼウル様、マアヤ様」
「何だ?」
「我々から、提案がございます」
サンカリヤが口を開いた。
「空と海の同盟を、正式に結びませんか」
「同盟?」とマアヤが尋ねた。
「はい。互いの国を尊重し、交流を促進し、協力し合う」
レボンが続けた。
「そして、その象徴として……」
二人の神官は、双子の方を見た。
「クウ様とカイ様を、両国の架け橋として」
ゼウルとマアヤは、驚いた顔をした。
「それは……」
「もちろん、強制ではありません」とライゼンが加えた。
「でも、あの双子こそ、新しい時代の希望です」とネッカが言った。
「空と海、両方の血を引く彼らなら、きっとできるはずです」とムライゴが続けた。
ゼウルとマアヤは、息子たちを見つめた。
クウは、空の子にも海の子にも、分け隔てなく話しかけている。 カイは、困っている子がいれば、すぐに助けに行っている。
二人とも、どちらの世界の子どもたちからも慕われていた。
「あの子たちなら……」とマアヤが呟いた。
「ああ。きっと、できる」とゼウルが頷いた。
二人は、神官たちを見た。
「わかった。同盟を結ぼう」
「そして、クウとカイに、未来を託そう」
神官たちは、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
六
交流会の終わり。
子どもたちは、すっかり仲良くなっていた。
「また会おうね!」
「うん! 絶対!」
空の子と海の子が、手を振り合っている。
クウとカイは、満足そうに微笑んだ。
その時、ゼウルとマアヤが二人を呼んだ。
「クウ、カイ。少し話がある」
二人は並んで、両親の前に座った。
「なあに、お父様、お母様?」
ゼウルが口を開いた。
「お前たちに、頼みたいことがある」
「空と海の架け橋になってほしい」とマアヤが続けた。
「架け橋?」
クウとカイは顔を見合わせた。
「お前たちは、両方の血を引いている。そして、両方の世界を知っている」
「だから、お前たちなら、二つの国を繋げることができる」
双子は、少し考えてから、同時に頷いた。
「うん、やる!」
「僕たちにできることなら」
ゼウルとマアヤは、息子たちを抱きしめた。
「ありがとう」
「でも、無理はしないでね」
「大丈夫! 僕たち、双子だもん!」
「二人なら、何でもできる!」
クウとカイは笑い合った。
そして、手を繋いだ。
その姿を見て、周りの大人たちも笑顔になった。
空と海の対立は、ここに終わった。
そして、新しい協力の時代が始まった。
全ては、二人の小さな王子たちから。
最終章 家族の再会と新世界
一
それから一ヶ月。
世界は、大きく変わっていた。
天空の城と海底神殿の間に、正式な同盟が結ばれた。
交流が活発になり、貿易も始まった。
空の民は、海の珍しい産物を手に入れられるようになった。 海の民は、空の美しい工芸品を楽しめるようになった。
互いの文化を学び合い、尊重し合う。
それが、新しい時代の始まりだった。
そして、何より大きな変化は――。
天空の城に、新しい住人が加わったことだ。
マアヤとカイが、ゼウルのもとへ移り住んだのだ。
「本当に、いいのか?」
ゼウルは何度も確認した。
「ええ。海底神殿には、信頼できる神官たちがいる。私は、家族と一緒にいたい」
マアヤは微笑んだ。
「でも、海底神殿も、時々訪れるわ。両方が、私たちの家だもの」
こうして、引き裂かれていた家族は、ついに一つになった。
二
ある朝。
城の食堂に、家族四人が揃って座っていた。
「いただきます!」
クウが元気よく言うと、みんなも続いた。
「いただきます」
朝食を食べながら、クウが話し始めた。
「ねえねえ、今日ね、アラシと新しい遊び思いついたんだ!」
「どんな遊び?」とゼウルが尋ねる。
「雲の上でヨットレースするの! 風を使って、誰が一番速く飛べるか!」
「面白そうですね」とカイが言った。「僕も参加していい?」
「もちろん! カイと一緒にやりたかったんだ!」
マアヤが優しく笑った。
「二人とも、仲がいいのね」
「だって、兄弟だもん!」
クウとカイは同時に答えて、笑い合った。
ゼウルは、その光景を見つめながら思った。
これが、本当の家族なんだ。
五年間、失っていたもの。
今、こうして取り戻せた。
「どうしたの、ゼウル?」
マアヤが心配そうに覗き込む。
「いや……幸せだなと思って」
ゼウルは妻の手を取った。
「君がいて、息子たちがいて。こんなに幸せなことはない」
「私もよ」
マアヤは夫の手を握り返した。
「長い道のりだったけれど、やっとここに辿り着けた」
双子は、両親の様子を見て微笑んだ。
お父様とお母様が、こんなに幸せそうなのは初めて見た。
いや、初めてではないかもしれない。
きっと、生まれた時も、こんなふうに幸せだったのだろう。
三
午後。
クウとカイは、城の庭でアラシ、ソラネ、ウーズ、ミナミと遊んでいた。
結界が崩れてから、海の子どもたちも気軽に天空の城を訪れられるようになった。
「じゃあ、ヨットレース始めるよ!」
クウが号令をかけると、六人はそれぞれ小さなヨットに乗り込んだ。
風の魔法を使って、雲の上を滑走する。
「わあ、速い!」
ウーズが笑いながら叫ぶ。
「こっちもね!」
ソラネが追いかける。
カイは、最初は少し不安だったが、すぐに慣れて楽しみ始めた。
「これ、面白いね!」
「でしょ!」
クウが隣を並走しながら笑った。
「カイは、何でもすぐ上手になるよね」
「クウこそ、教えるのが上手だよ」
二人は笑い合った。
レースの後、みんなで雲の上に寝転がった。
「気持ちいいな」とアラシが言った。
「空って、こんなに広いんだね」とミナミが感心した。
「海も広いよ」とカイが言った。「今度、みんなを案内するね」
「本当!? 行きたい行きたい!」
クウが飛び起きた。
「じゃあ、今度の休みに、みんなで海底神殿に行こう!」
「賛成!」
みんなが手を上げた。
子どもたちにとって、空と海の境界はもうなかった。
どちらも、自分たちの世界だった。
四
夕暮れ時。
ゼウルとマアヤは、城のテラスで海を眺めていた。
「あの子たちを見ていると、希望が持てるわ」とマアヤが言った。
「ああ。あの子たちは、私たちよりも賢い」
ゼウルは妻の肩を抱いた。
「なあ、マアヤ。結婚式を挙げないか?」
「え?」
マアヤは驚いた顔をした。
「私たちは、正式に結婚していない。秘密の恋人だったからな」
「そうね……」
「でも、今は違う。堂々と、君を妻にしたい」
ゼウルは、マアヤの手を取った。
「改めて、私と結婚してくれないか?」
マアヤの目から、涙がこぼれた。
「ええ。喜んで」
二人は抱き合った。
遠くで、双子がその様子を見ていた。
「お父様とお母様、結婚するんだって」とクウが嬉しそうに言った。
「うん。僕たちも、式に参加できるね」
「楽しみだな!」
二人は手を繋いで、夕日を眺めた。
金色と青色のペンダントが、夕日に照らされて輝いていた。
このペンダントが、二人を繋いだ。
そして、家族を繋いだ。
「ねえ、カイ」
「なに?」
「僕たち、ずっと一緒にいられるよね」
「もちろん。僕たち、双子だもの」
カイは笑顔で答えた。
「これからも、ずっと」
「うん! ずっと!」
二人は約束するように、小指を絡めた。
五
一ヶ月後。
南の島で、盛大な結婚式が開かれた。
空の民も、海の民も、陸の民も、みんなが集まった。
真っ白なドレスを着たマアヤ。 深い青の礼服を着たゼ
続ける
2025年11月23日
ウル。
二人は、浜辺に作られた祭壇の前に立った。
司式を務めるのは、レイラだった。
「本日、ここに集いし皆様」
魔女の声が、島中に響き渡った。
「我らは、二つの奇跡を祝福するために参りました」
「一つは、愛の奇跡。引き裂かれながらも、決して消えることのなかった愛」
「もう一つは、命の奇跡。離れ離れになりながらも、自ら再会を果たした双子の絆」
レイラは、ゼウルとマアヤを見た。
「ゼウル様、あなたはマアヤ様を、生涯の伴侶として愛し続けますか?」
「誓います」
ゼウルの声は、力強かった。
「マアヤ様、あなたはゼウル様を、生涯の伴侶として愛し続けますか?」
「誓います」
マアヤの声は、優しく響いた。
「ならば、ここに二人の結婚を認めます」
レイラが宣言すると、集まった人々から歓声が上がった。
ゼウルとマアヤは、キスを交わした。
クウとカイは、最前列で拍手していた。
「やったあ! お父様とお母様、結婚したよ!」
「これで、本当の家族だね」
双子は抱き合って喜んだ。
六
披露宴は、浜辺で開かれた。
空の料理も、海の料理も、陸の料理も並んだ。
音楽が奏でられ、人々は踊った。
空の民が、優雅に空中で舞った。 海の民が、波のようなステップを踏んだ。 陸の民が、力強く地面を蹴った。
三つの文化が、一つになって調和していた。
クウとカイも、友達と一緒に踊った。
「楽しいね!」
「うん!」
やがて、ゼウルとマアヤが二人を呼んだ。
「クウ、カイ、こっちにおいで」
双子が駆け寄ると、両親は膝をついて二人と目線を合わせた。
「お前たちに、感謝を伝えたい」とゼウルが言った。
「お前たちがいなければ、私たちは再会できなかった」とマアヤが続けた。
「え? でも、僕たち何もしてないよ?」とクウが首を傾げた。
「いや、してくれた」
ゼウルは二人の頭を撫でた。
「お前たちが出会い、友達になり、兄弟だとわかった。その全てが、結界を崩す力になった」
「お前たちの純粋な愛が、世界を変えたのよ」
マアヤは二人を抱きしめた。
「ありがとう。私たちの大切な息子たち」
クウとカイは、少し照れくさそうに笑った。
「僕たち、ただ友達になりたかっただけなんだけどな」
「それが一番大切なことだったのよ」
家族四人は、抱き合った。
周りの人々が、その光景を見守っていた。
神官たちも、涙を流していた。
「美しい……」とライゼンが呟いた。
「これが、本当の姿なのでしょうね」とトルーが微笑んだ。
サンカリヤとレボンは、互いに頷き合った。
「我々が守ろうとしたものは、形だけの秩序だった」
「本当に守るべきだったのは、こういう愛だったのですね」
太陽が西に傾き、オレンジ色の光が世界を染めた。
空も、海も、陸も、全てが一つの光に包まれていた。
新しい世界。
新しい時代。
それは、愛から始まった。
エピローグ 双子の未来
一
それから十年の月日が流れた。
クウとカイは、十五歳になっていた。
二人とも、立派な若者に成長した。
クウは、父ゼウルから王としての教育を受けていた。
明るく、人々から愛される王子。
ヨットの腕前は誰にも負けず、空の探検家としても名を馳せていた。
カイは、母マアヤから外交の技術を学んでいた。
聡明で、誰からも尊敬される貴公子。
多くの書物を読み、空と海の歴史に詳しかった。
二人は、それぞれの得意分野を生かしながら、共に「架け橋」としての役割を果たしていた。
二
ある日。
クウとカイは、久しぶりに南の島を訪れていた。
「懐かしいな」
クウが浜辺を歩きながら言った。
「ここで、初めて会ったんだよね」
「うん」
カイも微笑んだ。
「あの時は、まさか兄弟だとは思わなかった」
「僕も。でも、すごく懐かしい感じがしたのを覚えてる」
二人は、かつてトンネルを掘った場所に座った。
「あれから、いろんなことがあったね」とクウが言った。
「うん。でも、全部いい思い出だ」
カイは空と海の境界線を見つめた。
もう、そこに壁はなかった。
空の鳥が海に潜り、海の魚が空を飛ぶ。
そんな光景が、今では普通になっていた。
「僕たちの役目、ちゃんと果たせてるかな?」とクウが不安そうに尋ねた。
「果たせてるよ」
カイは確信を持って答えた。
「だって、みんな笑ってる。空の人も、海の人も」
「そっか」
クウは笑顔になった。
「なら、よかった」
二人は並んで海を見つめた。
波が、静かに打ち寄せる。
「ねえ、カイ」
「なに?」
「僕たち、これからもずっと一緒だよね」
カイは兄を見て、優しく微笑んだ。
「当たり前だよ。僕たちは双子だもの」
「うん!」
二人は手を繋いだ。
金色と青色のペンダントが、今も胸元で輝いていた。
三
その夜。
天空の城では、家族四人で夕食を囲んでいた。
「今日、南の島に行ってきたんだ」とクウが報告した。
「そう。懐かしかったでしょう?」とマアヤが微笑んだ。
「うん! あの場所、やっぱり特別だね」
「私たちにとっても、特別な場所だよ」とゼウルが言った。
「お前たちが生まれた場所でもあるしな」
「そうだったの!?」
クウとカイは驚いた。
「ええ」
マアヤは遠い目をした。
「あの島で、あなたたちを産んだのよ。嵐の夜だった」
「そして、三日後に引き裂かれた」
ゼウルの声が、少し震えた。
「でも、あの島で再会もできた」
「全ての始まりと、新しい始まりの場所」
マアヤとゼウルは、手を繋いだ。
クウとカイは、両親を見つめた。
二人とも、今でも深く愛し合っている。
そして、自分たちを愛してくれている。
「お父様、お母様」
カイが静かに言った。
「ありがとう。僕たちを、諦めないでくれて」
「何を言ってるんだ」
ゼウルは笑った。
「お前たちは、私たちの希望だった。諦めるわけがない」
「これからも、ずっと家族よ」
マアヤが優しく微笑んだ。
「離れていても、心は繋がってる」
クウは涙ぐみながら笑った。
「僕たち、幸せだね」
「ああ、本当に」
四人は、手を繋ぎ合った。
家族の絆。
それは、どんな困難も乗り越える力だった。
四
さらに時は流れた。
クウとカイが二十歳になった時。
二人は、正式に「空と海の大使」に任命された。
就任式は、再び南の島で行われた。
集まった人々の前で、双子は誓いの言葉を述べた。
クウが先に口を開いた。
「僕は、クウ。天空の王子として生まれ、海の血も受け継いでいます」
カイが続けた。
「僕は、カイ。海底の貴公子として生まれ、空の血も受け継いでいます」
二人は声を揃えた。
「僕たちは双子。生まれてすぐ引き裂かれましたが、自分たちで再会しました」
「その経験から、学びました」
「離れていても、心は繋がれること」
「違っていても、わかり合えること」
「そして、愛があれば、どんな壁も越えられること」
二人は、集まった人々を見渡した。
「僕たちは誓います」
「空と海を、永遠に繋ぎ続けることを」
「憎しみではなく、愛で」
「争いではなく、対話で」
「分断ではなく、調和で」
最後に、二人は手を繋いだ。
「僕たちは双子。二人で一つ」
「だからこそ、二つの世界を繋げられる」
「これが、僕たちの使命です」
拍手と歓声が、島中に響き渡った。
ゼウルとマアヤは、涙を流しながら拍手していた。
「立派になったわね」
「ああ。私たちよりも、ずっと」
神官たちも、感動していた。
「あの子たちが、新しい時代を作るのですね」
「いや、もう作っている」
レイラも、満足そうに頷いていた。
「私の役目も、これで終わりね」
魔女は、静かに島を後にした。
その背中を、誰も追わなかった。
レイラは、もう必要なかった。
世界は、自分の力で進んでいけるのだから。
五
その夜。
双子は、浜辺で二人きりになった。
「疲れたね」とクウが砂の上に座り込んだ。
「うん。でも、いい疲れだ」
カイも隣に座った。
二人は、星空を見上げた。
「ねえ、カイ。僕たち、ちゃんとできるかな?」
「できるよ」
カイは確信を持って答えた。
「だって、僕たちは一人じゃない。二人いる」
「そうだね」
クウは笑った。
「カイがいれば、怖いものなんてないや」
「僕もだよ。クウがいるから、頑張れる」
二人は、肩を寄せ合った。
波の音が、静かに響く。
風が、優しく吹く。
「ねえ、覚えてる? 初めて会った時のこと」
「もちろん」
「僕、すぐにカイのことが好きになった」
「僕もだよ」
「なんでだろうね」
「……きっと、血が知ってたんだ」
カイは空を見上げた。
「僕たちは双子だって。離れていても、心は繋がってたんだって」
「うん」
クウも空を見上げた。
「僕たち、奇跡みたいだね」
「奇跡じゃない。必然だよ」
「必然?」
「うん。だって、僕たちは会うべくして会った。繋がるべくして繋がった」
カイは、クウの手を取った。
「これからも、ずっと一緒だよ」
「ずっと?」
「ずっと」
二人は、約束するように手を繋いだ。
金色と青色のペンダントが、月明かりに照らされて輝いた。
そのペンダントは、もう魔法の道具ではなかった。
ただの、絆の証。
二人を繋ぐ、大切なもの。
「ねえ、カイ」
「なに?」
「ありがとう。僕の兄弟でいてくれて」
「こちらこそ」
カイは微笑んだ。
「クウの兄弟でいられて、幸せだよ」
二人は抱き合った。
星が、優しく見守っていた。
六
朝が来た。
新しい一日が始まる。
クウとカイは、それぞれの道を歩み始めた。
クウは、空の探検隊を率いて、まだ見ぬ世界を探しに行く。
カイは、海の図書館で、古代の知識を学び、人々に教える。
離れていても、心は繋がっている。
毎晩、二人は貝殻を通じて話す。
「今日はね、すごい雲の山を見つけたんだ!」
「へえ。僕は、古代文明の記録を見つけたよ」
「カイは、相変わらず本が好きだね」
「クウは、相変わらず冒険が好きだね」
笑い合う声が、貝殻を通じて響く。
そして、月に一度は必ず、南の島で会う。
あの、全てが始まった場所で。
二人で砂の城を作ったり。 貝殻を集めたり。 ただ、話したり。
子どもの頃と同じように。
でも、今はもっと深い絆で結ばれている。
双子の絆。 兄弟の絆。 そして、同じ使命を背負う者同士の絆。
物語は、ここで終わる。
けれど、クウとカイの人生は続いていく。
二人は、これからも空と海を繋ぎ続ける。
時には困難にぶつかるだろう。
時には迷うこともあるだろう。
でも、二人なら大丈夫。
なぜなら――。
二人は双子だから。
生まれた時から、運命で結ばれていたから。
そして、何より。
愛し合っているから。
家族として。 兄弟として。 友として。
空と海の間に、もう壁はない。
あるのは、架け橋だけ。
その架け橋の名は――。
クウとカイ。
天空の王子と、海底の貴公子。
小麦色の肌と、色白の肌。
金色のペンダントと、青いペンダント。
二人で一つ。
一つで完全。
そして、二人の物語は、これからも続いていく。
永遠に。
おわり
あとがき
空と海。
遠く離れた二つの世界。
でも、愛があれば繋がれる。
血があれば、わかり合える。
そして、心があれば、どんな壁も越えられる。
クウとカイの物語は、そんな希望の物語でした。
生まれてすぐ引き裂かれた双子。
でも、運命は二人を再会させました。
そして、二人の絆が、世界を変えました。
これは、愛の物語。
親の愛。 子の愛。 兄弟の愛。
そして、全ての人を繋ぐ、普遍的な愛の物語。
クウとカイは、これからも生き続けます。
あなたの心の中で。
そして、いつの日か。
あなたも、自分だけの「架け橋」になれますように。
違う世界を繋ぐ。
違う人を繋ぐ。
それが、この物語からの、小さな願いです。
読んでくださって、ありがとうございました。
空と海が、あなたの心の中で一つになりますように。
fin

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